▼三線の修理

■三線の修理

・ 弦切れ:100円(税込)~
・ 本皮の張替え:
  表側→20,000円(税込)~
  裏側→15,000円(税込)~
・ カラクイ:工賃500円(税込)~(カラクイ購入代金別)

※新しいカラクイと三線とをピッタリ合わすため調整いたしますので必ずお客様の三線をお店にお持ち下さいますよう御願いいたします。

※修理の状況・部品の形によって値段が異なりますのでお問い合わせください。

■その他の修理については、さんしんや~ とぅるるんてん
06-6882-3434にお問い合わせください。

系列店

さんしんや~ とぅるるんてん

沖縄・那覇店です。

番頭さんの毎度楽しいブログは必見!!

番頭さんのマニアなほどまでの、職人堅気な製作過程は非常に勉強になります!!

島唄ライブ琉球

大阪・梅田にある関西最大級の民謡ライブ居酒屋です。

100種類以上の泡盛と島唄ライブで今日も賑やかなシマンチュの宴が繰り広げられています!!


島唄ライブ樹里

国際通り沿線にてっちゃんプロデュースのお店が誕生!

創作沖縄料理に舌鼓み、泡盛全銘柄とオリオンビールにグラスを傾け、本格島唄の熱い夜をお楽しみください!!

↑こちらはスタッフの楽しいブログです!!


琉球國民謡協会
 

オーナー紹介

てっちゃん

はいさい!!伊礼 哲です。
長年のプロの琉球民謡歌手としての経験を活かした、「弾き手が弾きやすく、よく鳴る三線作り」をモットーに、1本1本丁寧に仕上げております。
そうして組み上がった三線はプロとしての細やかな微調整を施して完成となります。
すべて手づくりなので手に持った感触や音色がそれぞれ微妙に異なります。
だからお客様にはまず御来店いただいて、実際にいろんな三線を手にとって音を鳴らしてみてから、自分に一番合った1本をお買い上げいただきたいと考えております。
まずはお店に一度めんそーれ!!

携帯ページ

ピリオドサンシン

ピリオドサンシン

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長旅を続けていれば、必ず決心しなければならないことがある。旅の引き際、旅の終わりを決めることである。

わたくしも含めてバックパッカーで長期旅行に入る場合、大抵の旅人は、自分の仕事を辞めたり身の回りの身辺整理をした後、貯めたそこそこのお金を持って物価の安い国々を転々と放浪を続けることとなる。そうした場合お金もアジア諸国の物価の安い国々では一日US$5以下で十分生活できるので持ち金も減らず、何よりも人生の今後のスケジュールなぞ予定は無いので、旅の期限に左右されずそうして旅が日常となり、ひたすらに旅を続けることができる。だから旅程はといえば数ヶ月~半年の人もいれば、1~2年にまたがる人もざらである。そうして果ては何十年も帰国してない真の世捨て人になる人も。。。

旅は甘美なものである、、、自分の好きな土地に行き、起きたい時に起き、食べたい時に好きなものを食べ、好きなだけ飲み、寝たいときに眠り、そしてその地に飽きたらまた違う地へと彷徨う。いうなればお金の続くかぎりはやりたい放題なのだ。旅先で出会う仲間も同じ職無しやりたい放題境遇なので打ち解け易く、気が合えば時には数日共に暮らし、仲が崩れればその場で別れればしまいなだけである。なんと気楽な人間関係!旅先での恋愛も同じ。。。そして何よりも未知なる旅先でのその土地の重厚なる文化、歴史、そして広大なる自然の中で自由に生き続けられること。。。仕事にも何にも縛られずおのれ一人で自由勝手気ままに。。。

多分旅って、夜露死苦竹パラリラ♪バイクに乗っての暴走行為や(例えが古~!!)、今ではひきこもり怠惰生活かな、、、それらよりもはるかに一番の不良生活であろうことは確か!!そんな甘美なるエターナルな旅をいかに終わらせたか、いかに旅を終える決心へと導かれたか。。。旅人の旅の終焉は十人十色だが、これから語るのはそんな旅に取り付かれた一人の若者の一つの旅の終焉の話。。。

何年か前の話である。とある理由で会社を去ったのだが、そしたらすぐに学生時代から押し殺してきた旅の虫が腹のなかで騒ぎたて、その数日後には香港行きのフライトにリュックひとつで飛び乗り、そこからネパールやインドを横断し、パキスタンも上から下まで周ってた若かりし頃(今も十分若いですよ~見た目は!?)。

そんなパキスタンは幼き頃より憧れを抱いていた大地で今回の旅のメインでもありました。。。♪そこに行けば どんな夢も叶うというよ 誰もみな行きたがるが 遥かな世界 その国の名はガンダーラ♪。。。そう、小さいころ大好きだった「西遊記」のテーマソングのあの国、They say it was in India. とあるようにインドと思われがちだが実はパキスタンなのだ。しかし昔はパキスタンもインドだったのであながち間違えではないが。。。当時、前職疲れやハートブレイクやらで心身ともにボロボロであったわたくしでありましたので、長年夢だった、生きることの苦しみさえ消えるという素晴らしいユートピア、ガンダーラを目指したのでありやした。 

時は11月中旬、アフガン国境付近のペシャワールという町(最近タリバンやビン・ラディンのアジトがあるのないので悪名高き町)に数日程潜伏しておりました。そこから早朝、ミニバスで出発、1時間程でようやく目指すはタキシラという小さな町に到着する。

Taxila

タキシラ遺跡。。。そこでは長年訪れるのが夢であったガンダーラ遺跡の中心地かつ最大の遺跡群が広がるユートピアの大地。そんな広大な遺跡群を徒歩で散策するのだが、でかすぎて朝から見てまわるのに丸一日かかるのだ!!その広大な敷地では小川が流れていてしばし涼をとったり、小高い丘を登ったり、広い草原をあるいたり、ちょっとしたピクニック気分♪おもしろいことにそんな広大な世界遺産のなかでは人が普通に暮らしているのだ!!小川では洗濯に勤しむ娘さん達、その横の畑では野良仕事に精をだすおっちゃん方々。そんな住民と共存している世界遺産群ってなんと素敵なのだろう。住民達も田舎で文明開花も程遠い素朴な身なりからその時代の民衆かのごとく世界遺産の一部になって溶け込んでいるって感じ!!ちなみに遺跡はというと、広大に広がる古代都市跡が広大な敷地に散在しており、古代調査による発掘の採掘等で掘り起こされた地面から石で造った壁やら柱の土台の部分やらが保存されており、なによりも仏陀の聖遺物を収めた、たくさんのストゥーパ(仏塔)跡があり、当時の仏教文化の繁栄を物語っているようで、スケールの広大な遺跡群にかの夏目雅子ふんする三蔵法師のこの地に対するロマンを感じさせられずにはいられなかったのでありました~。
 

Gandhara

Gandhara

ガンダーラロマンに酔いしれながら遺跡群をさまよって歩いていると、そろそろ遺跡もクライマックスかな~と思う辺りで、まずはお見かけしない日本の男性バックパッカーと、ホント♪偶然~ばったり~出会ったよ~ハッとして~♪でな感じ!!「あっ!!」指を指しあったほどでした。すぐさまマシンガントーク炸裂!!互い数日振りに交わす日本語に数秒で意気投合!!ほんと日本語がしゃべれるというだけで意気投合できるのだから、、、これこそが旅の醍醐味なのか!!ただ日本語に飢えてただけなのか。。。

聞くところによると、やや旅にくたびれた感の彼は私とはやや年上の同年代で、彼の旅路は日本を離れてからアジア周辺を彷徨い1年近くも経っているとのこと。今はタキシラの遺跡に近い安宿のツインの部屋に一人で泊まっているとのこと。ツイン部屋なのでベッドももうひとつあるとのことでしたので、お互い旅行費を浮かすべくシェアしないかとのことで、残る遺跡群を共に見学した後、彼の泊っている宿へ向かうことに。

宿はというと、ここらでのポプラ並木道である幹線道路(幹線道路といっても片道一車線ほどの道幅の細い田舎道)に面した雑貨屋経営の裏の掘っ立て小屋が今回の安宿。到着すると雑貨屋の中からここの娘さんであろうか、黒髪で大きな黒目な10歳ぐらいの少女が出てきて、笑顔で挨拶するとはにかみながら裏の掘立小屋へと案内してくれた。

宿に荷物を置いて荷物を仕分けていたら、お互い腹が減ったとのことでしたので、まだ昼下がりの4時前ぐらいで日も高かったが、2人、近くの安食堂へディナーへくり出すことに。食堂といっても日本のちょい昔の駄菓子屋みたいな感じで、狭い食堂はテーブルがひとつしかなく、まわりにお菓子やパン、洗剤等日常雑貨が山積みで、向かって入り口左外にキッチンらしく大きな寸胴鍋が二つ、ぐつぐつ煮込んでる。その寸胴の横の縁側にせせこましくテーブルを置いただけのテーブル(良くを言えばガーデンテラス席!?)に座り込むことに。。。

パキスタンを数週間旅してて分かってくるのだがメニューもやはり想像通り、二つの寸胴で煮込んでる二種類しかなく、大抵それがメインメニューなのだろう。早速メインを二皿オーダーする。メインの内容というとここらでは一番ポピュラーなダル(ヒヨコマメ)の煮込みと羊の煮込みであった。どの店も味は同じようなもんで、カレー粉の入ってないカレーの煮込みってな感じで辛くないスパイスシチューてな味付け!!

酒はご法度のお国なのでペプシを注文。ビンのままカチ鳴らし2人ささやかに乾杯!!腹ペコだったので早速、こりゃまた油っこいナン(通常は窯で焼くのだが、こんな小さな食堂ではデカイフライパンに使い古した油で焼くため油でベトベト状態!!)でダルの煮込みを丸めとり、ほおばりながら更に身の上話は続く。。。彼は旅に陥るまでは約10年間お固く公務員をやっていたとのことでお金の面でも暮らしの面でも何不自由無かったとのこと。「この不景気にそのステイタスを捨てて旅にでるなんてもったいない、どうして?」、、、「まあ、いろいろあってね」、、、これ以上聞かないのが旅人の掟。旅人はいろいろあるものなのだ!!

いろいろ身の上話や旅の話しでもりあがっていたが、食事を半分ぐらい終えたあたりから急に少し気分が悪くなってきた。パキスタンのこういった安食堂料理は油が悪くギドギドした物が多いので、お腹は絶えずゆるゆるがちだったが、今回はとうとう胃にきたらしい。。。彼はというと全然へっちゃららしく、残すのはもったいないとわたしの分の羊のスジ肉も美味しそうにほおばってくれた。

さらに悪いことに寒気もしてきたので彼が料理を平らげたところで食後のチャイを飲むことなく店をでることに。途中、ふらふらになりながらも彼に支えられながらなんとか歩き通し、ようやく宿前の雑貨屋に到着。彼には先に部屋に帰っててもらい、気分の悪さがピークになったわたくしはすぐさま一人道路向かいにかけ出しポプラ並木で我慢ができず、根っこ付近にうずくまりすぐさま怒涛の如く吐き出した。。。吐いても吐いても吐きたらず、その後よたつきながら草原をふらつきまわりあたり一面に胃液一滴残らずぶちまけまくった。。。ふと見渡すと夕暮れの大平原の中、真っ赤に焼けた草原の中で日が傾き、わたしと同じ高さの横に並んだ真っ赤な太陽と2人大地にうずくまって沈んでいくかのようだった。そんな対照的な沈んでいく2個の団子を心配そうにポプラ並木から宿の少女が綺麗な曇りの無い真っ黒な大きな瞳で心配そうに見守ってくれていたのを今でも覚えている。。。
 

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出すものは出したのでとりあえず宿に戻ると今度は頭痛までもしてくる。ベッドに倒れこむと同時に悪寒が激しくなり頭がグルグル廻りだした。風邪?!大急ぎで風邪薬を飲むが所詮付け刃、飲んだすぐにはよくならない。。。さらに悪寒がひどく頭もキリキリと痛み出す!!

向かいのベッドで絵葉書を書いていた彼が「葉っぱやらないか?」と聞いてきたが「風邪をひいたみたいでちょっと寝るわ」と断る。。。彼はかなり心配してくれて、「とりあえず静かにしているわ、なんかあったら教えて!!」とのこと。とりあえず目を瞑っていようとするが頭はガンガン、身体がブルブル、腹痛までガンガンきた~!!こりゃヤバイとシーツ被っていたら、となりのベッドからプーンとハシ〇特有の甘~い香りが漂ってくる、、、そういやハシ〇って薬やったなあ、、、末期ガンの鎮痛薬のモルヒネみたいに痛みだけでも和らぐのでは、、、ガンガン鐘が鳴る頭の片隅で末期ガン患者の気分ってこんな感じなのかな~と定まらない意識の中でうっすら妄想に耽っていた。。。

数十分後、もう我慢が出来ず、ええい!!どうにでもなれってな感じでバッと布団から起きだし、「頭痛いから一服頂戴!!」ベッド越しで彼がきめていていた葉っぱをまわしてもらう。。。数回吸い込むと頭が清流のように穏やかに。。。なによりもキリキリ痛かったお腹もおへそ辺りからじわじわ暖かくなってくる感じ。。。

30十分後くらいであろうか、熱っぽさは残るものの痛みは大分ひけ、葉っぱをまわしながら再び旅トークへと花咲くことに。。。トークできるほど回復したのも風邪薬が効いたのか、葉っぱがきまったのか。。。ただそのときの会話はほとんど覚えていないことは覚えている。。。

 

 

 

翌朝、けだるさは若干残るものの、頭痛も腹痛も寒気もなくなりすこぶる調子がいい。昨夜の葉っぱが効いたのだろうか!昨日はほとんど食べていなかったので急におなかがグーグーなり空腹感に襲われる。食事処が昨日の食堂しかないとのことなので、仕方なく相方と昨日の食堂へ。

入り口付近には相変わらず昨夜の寸胴が煮込まれており、いったい何日間この状態で煮込み続けているのだろう。。。昨日の事もあり、それはやはりパスして、お腹に優しくブレックファーストらしい目玉焼きを注文。ご丁寧に両面焼いてくれる。それをいっしょに出てきた油まみれのナンに挟み岩塩をふりまくり頂く。空腹だからであろうか、かなり美味く感じ、ほとんどがっつきながら彼に今日この町を出る話をすると、彼も出る予定とのことなので、食事後チェックアウトをして一緒に出ることに。

チェックアウト時にバス乗り場の場所を聞くと、宿から乗り合いバス乗り場まで数キロあるとのことで宿のオヤジからタンガ(馬車)を乗る事を勧められた。そうしてチェックアウト後に宿からポプラ並木道を少し歩いていくと道沿いにタンガの乗り場があり、一台のタンガが停まっており、繋がれた馬に5~6才ぐらいの子供がバケツで草をやっていた。その世話係の子供に行き先と運賃を確認すると、自分が座っていた木の踏み台を置いてくれて載るような身振り手振り状態。

「どうぞ!横へ」先に乗り込んでいた40ぐらいのウルドウーのおじさんが手を差し伸べてくれて横の席を空けてくれた。「今馬は給油中だからもう少し待ってあげてね」なるほど、この馬車にとっちゃあ草はガソリンってなわけやね。しかもホントの一馬力ってなもんだ!!

数分後、世話係の子供が草の入ったバケツを片したので、さあ出発と思っていたらその子供が前の運転席に乗り込んでくるのだ。まあ横に運転手のお父さんも後から乗り込んでくるものだと思いきや、なんと間髪入れず子供は馬のケツを蹴り上げて馬車を走らせた。見た目は小学校に入る前ぐらいの小さな子供というか幼児だったので相方とビックリしていると、おじさんが「彼は優秀なライバーさ!!」と優しげな口調で話してくれた。

こんな小さな子が、、、と相方2人で唖然としながらヨタヨタ荷馬車で揺られていると、一分も経たないうちにいきなり止まり、前の小ちゃな運ちゃんがさっきのバケツを抱えながら馬車から飛び降り、道路わきの近くの井戸のポンプでバケツに水を入れ始めた。それを重たそうにズリ引き、馬の口元まで運び馬に飲ましてやった。「モーニングアフターのチャイやね」おじさん、なかなかシャレた言い回しするなあ!!その馬をよく見るとかなり老馬のようで毛並み、足回りもくたびれているのが分かり、まさに今まで馬車馬のごとく働いてきたのだろう。。。

バケツ一杯のチャイを飲みつくし、ようやく出発!!給油も終え、チャイも一杯のんだのでさっきよりも確かに馬力が違うのが分かる。でも所詮タンガ、造りはちゃちく、全て木製で昔の大八車そのものでそれに木製の木箱を椅子として備えてる感じ!!もちろん車輪も木製でサスペンションもあたりまえに無く、地面の振動が100%伝わってくる乗り物だ。そしてエンジン部分が老馬となれば速度は人がチョイ速や歩きのスピードとなる。それでも荷物を抱えて歩くよりは優雅に揺られて旅ができるので断然マシであり、スローな旅には意外と楽しい乗り物ではあった。

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まだまだ未舗装の土の道をガタゴト進む。途中、水溜りやくぼ地を絶妙な手綱捌きで器用に避け、大型トラックが通過時には止まってやり過ごす。なかなかのドライブテクだ!!そんなガタゴト馬車に揺られながらゆったり流れるパキスタンの田舎の朝の風景に旅のロマンを感じさせずにはいられなかった。

どの国、どの町でもタンガのような馬車や人力車等の非力な乗り物に乗っていると毎回「坂」という難所にはいつもてこずらされた。今回も同様で、すこし行くとかなりの坂道となってきた。さらに田舎道なのでデコボコで道も悪く、車輪が小さなくぼ地に挟まりがちでしょっちゅう馬車が止まってしまう。そうなると運ちゃんは馬車から飛び降り、後ろに回り込んで馬車を必死に押し始めるのだ。我々も降りて手伝おうとするのだが彼は我々に乗っててくれとそのままのジェスチャーをするばかり。。。なんというプロ根性だろうか!!横のウルドウーのおっちゃんも彼に任せときな!!ってな感じでタンガから降りようとする我々を抑止する。。。たぶんそういうお国柄なのだろう。小さくてもお金もらっている以上彼はプロなのでこういうことも彼の仕事で手出しは無用!!みたいな。。。だから彼も彼で頑固一徹、お客には一切手出しはさせないのだ!!

ようやく老馬と運ちゃんのコンビネーションでくぼ地から車輪がゴロンと転がりだす運ちゃんが大急ぎで飛び乗るやいなや、馬のケツに蹴りを入れまくり坂に馬が負けないよう駆けさせ、転がり始めた車輪の惰性をキープさせる。

その後、そういう坂道と悪路のバトルが何回も続いた。にもかかわらず、いっこうに我々乗客は乗客以外の何者でもなく、車輪がスタックしようが坂道でのパワー不足となろうが馬車の座席の高台からちっちゃな運ちゃんの悪戦苦闘ぶりを悠々と一部始終見守るだけである。。。ただひたすらと。。。

そうこうしているうちにさっきまでの旅のロマンに酔いしれる感情は吹き飛んでいた。。。「我々って一体何なんやろうな!!」「何様なんやろうな。。。」{旅人ってだけで何やろうな。。。)こんな小さな子供に馬車を走らせ、押させ、それとは反対に数倍大きな我々は優雅にその高台に座り、それに揺られて旅のロマンにセンチな感情を馳せているだけの旅人って。。。

そう感じてしまったら周りのロマンの風景が一変した。道路では人が暮らしのため、仕事のために行き交い、道路脇の畑では子供達が秋の収穫を手伝い、小さな商店街でも老若男女けたたましくうごめきあっている。みんな生きるためにうごめきあっているのだ。前へ進んでいるのだ。生産しているのだ。まるであらゆる筋肉が微動して血液を送り続ける心臓のように。。。ひとつの動きのベクトルとなって。。。一つの大きな生き物のように。。。一つの村、町となって動いている。。。一つの集合体となって。。。我々旅人はというと、町から町へとふらつきまわり、彼らの生産した食材を食らい、合わないからとぶち吐き、それを補うようにまた食らう。。。そして今やタンガ上の高台からのそんなうごめき合っている彼らの高見の見物。。。

「我々って間違えてない?」「確かに!!」。。。そう言い合うと条件反射的に、あいかわらず坂道で進まず往生するタンガから2人飛び降りるやいなや後ろに回りこみ、2人荷台を押し始めた。横のおっちゃんも「よし!」とばかりに飛び降り3人加わり4人で押し進めた。誰も乗っていない空の荷台をひたすら坂道を前へ前へ。。。
 

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そうこうしてようやくバス乗り場へ到着!!少しばかりは押したものの、いろいろと重たい馬車をあやつったお礼として小ちゃな運ちゃんへのねぎらいで、横のウルドウーおっちゃんもチップを多めに渡してあげては、と勧められ、我々もその気であったので運賃を渡した後ちょっと多めにチップを差し出した。が、驚いたことに、なんと小ちゃな運ちゃん、受取らないのだ!!何度もチップを差し出すがいっこうに受取らない!!おっちゃん通じて彼いわく、自分の仕事分しかお金は受取らないとのこと!!なんというプロ根性!!

ここまで信念をもっている彼はいったい何歳かと興味がありおっちゃんを介して聞いてみると、なんとっとっとっと14歳!!聞くところによると、この国では貧富の差が激しく、あまりにも食生活が貧しく彼のように成長が芳しくない子供達が多いとの事。にしても見た目はピッカピッカの一年生!!チップを受取らないならばこれはどうかと日本からもってきたチョコレート菓子を一箱差し出すと、「シュクラン!!」爪の中まで真っ黒な受取る手と、お礼を言ったあの排気ガスのススで汚れたなかの曇りのない笑顔はいまでも鮮明に残っている。

そんなバス乗り場で相棒と2人して「こんなんやってる場合やないなあ!!」と顔を見合わせる。「そろそろ帰らなあかんな~」「まずはお互い仕事を見つけよう!!」

お互い固い握手を交わしてそれぞれの行き先へのパキスタン名物のキンキラバスに乗り込んだ。。。それぞれの道を目指して。。。また旅ははじまる。。。わたくしはもちろん東へと。。。GO TO INDIA。。。パキスタン横断キンキラバスのエンジンがうなりをあげる。。。。。

その後、一週間後にはデリー経由で無事日本に帰国した。そしていまや堅気になって日々労働に勤しんでいる。。。

サンシンも同じ、もう何年も続けたサンシンを、わたくし自身ピリオドを打つ日、いや打たねばならない日がいつかはくるのであるのでしょうか。。。転勤やら結婚やら人生の節目というタイミングといっしょに。。。

しかし以前、「最果てサンシン」でも書いたように、ピリオド=最果てというのはある者にとってはゴールでもあり通過地点でもあり、周回地点、そして今回のようにスタート地点となりうると書いていたなあ~。

そう考えたらなるほど!!と思える。帰国できたのもあの馬車の出来事が大きなきっかけなのでありますが、その結果、旅から足を洗えたか、、、いや洗えてない。その数年後には「つれづれなるままに、日暮し、、、」いや、これは吉田兼好、違った、、、「月日は百代の過客にして…」芭蕉の心意気で再び旅をスタートしてサハラ砂漠で彷徨っているのですから。。。

やはりサンシンも同じであろう。。。既に日常となってしまったサンシン。。。いちどはピリオド打ってやめたとしても、いずれかはこの世界にかえってくるのかなあ。。。いまや既にどっぷりとうちなーに浸かってしまったら、うちなー文化からもう抜けられなくなってきているのは分かる。。。いまや身体は大阪だが、心はうちなーへと迷走放浪中~。。。

まあ実際はその時になってみないと分からないので考えるのはこれぐらいにしときます。。。わたくし自身、まだピリオドすら付けれない、まだまだ唄持ちの駆け出しサンシン状態ですので!!

わたくし?今は飲んだ帰りの最終電車のピリオドと日々奮闘中~!!

 

2014-04-24

2014-04-24 15:30:00

泡盛ブレイク 「空振りサンシン」   |  コメント(0)

 

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